努力について。

「報われない努力はない」


なんて事を書くと、全く青臭くって恥ずかしい。
まさに穴があったら入れたい入りたいという感じだけど
最近とある本でふとこの言葉を見てひどく共感してしまった。



最近、ふと思う所があって、「かるちえ」の過去ログを読み返してみたのだが
そこであまりに自分がポジティブなのに気付いて愕然とした。
ここで書いている自分は、とっても前向きな人だ。
それも、これでもか、と言うくらい。
しかし残念ながら、本人はその後天的なジェットコースター人生の
ためにひどく現実的と言うか、冷めている人だ。


残念なことに、ガキの頃から自分の意のない所で大人の世界を
いやほど見せつけられ、人とは信用してはならないものだと深く信じさせられてきた。
それ以来、人を騙すことはあっても騙されたことはほとんどない。


騙す、と言うと人聞きが悪いが、そもそも信じていないのだろう。


だから人の世話になることは極力避けてきた。

何事も最終的には自分で判断し、足りない所は自分の能力を上げるように努めてきた。

人に聞いた知識も必ずと言っていいほど裏を取った。

病気になっても医者には行かず、薬も飲まない。

自分の能力の及ばない所ではじっとしていることが多い。

それでも知識面などでは信用している人は
それなりに居るので、知らないことは聞く。
もちろん、理屈も納得が行くまで。



そうしていま自分はここに居る。



もちろん、信じたくないと思って信じていないわけではなく
出来れば信じたい、とも思う自分がいる。
それが端的に表れているのが、ここでの自分じゃないのだろうか。

なんかそういう気がしてきた。


ところで、学校での友人連中には優秀な人が多く
わからないことがあれば遠慮なく彼らに質問をする。


彼らを見ていて思うのだが、もちろん先天的に能力が高い部分も
ないとは思わないが、それ以上に彼らは努力の結晶だなあ、と感じることが多い。

で、自分なりの結論として、努力をしてきた人の言うことは信じられる。
そういう気がしてきた。

もちろんそれは学校の友人に限ったことではないが。
それは植木屋の親方とか、その他の人にも感じてきたとだと思う。
(なお、植木屋時代の話はここここに)



さて、再び自分を振り返ってみて、これから先も
やらんねばならんことはたくさんあるなあと思う。

その度に、もういいや、とは思わんと、やっぱ
冒頭の言葉を思い出すべきなんだろう。

自分で思い込む所からまず始めないと。


なんて結局今日もやたらとポジティブに。


全然まとまってませんが、まあそれもありってことで。